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会津

2017年3月30日

江戸時代から会津地方で生産されてきた在来の薬用人参「おたねにんじん」をこのまま廃れさせてはいけない、と立ち上がった喜多方市の漢方薬加工・卸問屋「清水薬草」専務の清水琢さんにお話しを伺いました。
 
琢さんは「清水薬草」の三男として生まれ、子どもの頃はお父さまと一緒に薬草農家をまわって作業を手伝い、薬剤師のお母様のお仕事を見て過ごしました。
だからこそ、仕事の大変さも実感していたので、「薬屋には絶対にならない!普通のサラリーマンになろう!」と決めていたそうです。
実際、大学を卒業後は東京でシステムエンジニアとして充実したサラリーマン生活を過ごしていたそうです。


1946年創業 清水薬草店

家業は継がないと考えていた琢さんですが、子供は都会よりも田舎で育てたい、という希望は持っていたそうです。
そして、4人いる兄弟が誰も後を継ぐ意思がなく、いずれ閉店してしまうという現実に直面した時、薬草店を継ぐという決心をされたそうです。
 
2009年に帰郷。清水薬草の専務として、薬草の加工卸業務に携わっていましたが、2011年の震災の影響を受け、売り上げが平年の6割に落ち込む、という打撃を受けることとなります。
震災の翌年、「会津人参農協組合」から「このままでは解散するしかない。清水薬草さんで引き継いでいただけないか?」との打診があり、薬草を生業としている者として、会津の伝統産業であるおたねにんじんをなくすことはできないという考えと、今後の経営に不安を感じ何か手を打たなくてはならないとの考えから、施設を買い取り、琢さんの挑戦が始まりました。

「おたねにんじん」は全盛期には会津地域で300軒以上の農家が栽培していましたが、
生産者の高齢化と安い輸入品による価格の下落により、生産を続けている農家はわずかになっていました。
 
組合の継続を引き受けた琢さんは、以前のように栽培する人が増えることを願い、栽培農家の方に教えていただきながらマニュアル作りを始めました。
マニュアルさえあれば、誰でも栽培できると考えたわけです。
しかし、そう簡単ではありませんでした。
農家の経験のない琢さんは、栽培農家の方が話す言葉がすぐには理解できず、何度も聞きに伺うことに。
そんなある日、「お前、何回も聞きに来ているけど、お前にこんな話をしたって、分かりっこないんだよ。」と怒られたそうです。

確かに、栽培経験のない自分には理解できないことも多く、自分で作って初めて仲間になれる、と考えた琢さんは、一念発起!
ご自身でおたねにんじんの栽培を始めます。
 
おたねにんじんは収穫までに4~5年の長い歳月がかかるとても手間のかかる作物です。
実際に栽培に携わり、農業の大変さを実感したそうです。
「卸問屋の仕事をしながら畑仕事をするのは辛くはないですか?」との問いかけに、
「作業が終わった時の達成感や植物の成長が嬉しく感じることができるようになりました。」と力強い答えが返ってきました。

9名で発足した「会津人参栽培研究科」は4年目を迎え、会員数も25名に増えました。
琢さんは「今後は以前のような輸出販売ではなく、地元の人が気軽に食べられるような商品の開発に力をいれていくことで、おたねにんじんが産業として地域に根ざし、発展していくと確信しています。そして、若者たちの雇用の受け皿となり地域活性に結びつけていきたい。」と力強く話してくださいました。
4年目を迎えた今秋、初めての収穫を迎えます。
仲間たちと喜びを分かち合う瞬間までもう少しです。

あおい情報員 【会津担当】

会津

  • 会津の伝統産業を守るための挑戦 清水琢さん(喜多方市)
  • 2017年3月30日 木曜日
  • あおい情報員 【会津担当】
  • 魅力の宝庫、会津暮らしを満喫しています。

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